三木鉄道・北条鉄道

2007.7.4


 国鉄加古川線には、4つの支線がありました。それだけでもマニアの中では有名だったそうです。北から、鍛冶屋線、北条線、三木線、高砂線。加古川からの列車はほとんどが鍛冶屋行きだったので、野村駅(現西脇市駅)〜谷川駅を谷川線と呼ぶ人もいますが、今も当時も、加古川から谷川までが「加古川線」です。
 赤字路線切り捨ての動きで、鍛冶屋線や高砂線は廃止になりました。その時に第三セクターで存続したのが、三木鉄道(旧三木線)と北条鉄道(旧北条線)です。バスに車輪をつけたような「レールバス」が、のどかな田園風景の中を走っていました。そしてとうとう、三木鉄道は2008年3月で廃止となるようです。北条鉄道も、小野市長が北条鉄道への支援を打ち切るようなことを言っており、いつ廃止になってもおかしくありません。
 昨年あたりから、加西の北条に車を止めて、北条から北条鉄道(北条町〜粟生)、JR加古川線(粟生〜厄神)、三木鉄道(厄神〜三木)を往復する計画を頭の中で立ててはいたのですが、なかなか実行できませんでした。それが急に、子どもを三木まで送る必要が出てきたので、そのついでに急遽、逆コースでその計画を実行することにしました。今回は時刻も何も調べていないので、ぶっつけ本番!さて、どうなりますやら。こてっちゃんの旅(その3)をどうぞ。


 三木駅。ここを探すのに一苦労しました。神戸電鉄三木駅と連絡がよければ、三木鉄道の運命も変わっていたでしょう。  三木鉄道の車両は、ディーゼルで3両。本当はレールバスに乗りたかったのですが、レールバスは見あたりませんでした。
 厄神駅に着いた三木鉄道の車両。手前はJR加古川線の電車。ここからJRで粟生駅に移動します。  JR粟生駅から北条鉄道に揺られて、北条町へ。左はレールバスですが、乗ってきたのは右のディーゼルカーです。
 北条町で折り返して、粟生駅へ。赤字路線のため、往復800円も仕方ないか。手前はJR加古川線の電車。  粟生駅から厄神にJRで移動し、再び厄神駅の三木鉄道。どこに行ってもカメラをぶら下げたてっちゃんがちらほら。

 帰りのコースは、粟生から神戸電鉄で三木に行き、そこからブラブラ歩いて三木鉄道の三木駅に行けばよかったと、JRに乗ってから思いました。厄神で30分以上時間待ちがあったので、さらにその思いは募りましたが、どうしようもありません。
 ところで、残りの支線ですが、鍛冶屋線は高校時代に通学で利用していました。高砂線はこれも高校時代、部活の大会が高砂高校であったので、一度だけ利用したことがあります。実はその高砂線の途中の野口駅から、別府鉄道なる私鉄が出ていました。私が高砂線で高砂駅に向かう途中、野口駅から小さなディーゼルカーが汽笛を鳴らして出ていったのを覚えています。別府鉄道も廃止になりました。今となっては、別府鉄道に乗っていないのが悔しいですね。別府中学校の近くの旧踏切には、まだ線路も残っています。


こぼれ話

 三木鉄道の中でも、厄神駅でも、粟生駅でも、北条鉄道でも、一人は「てっちゃん」がいます。カメラを下げているので、すぐ分かります。私は「てっちゃん」の足元にも及ばない「こてっちゃん」ですが、たまにポケットからデジカメを出してシャッターを押しているので、きっちり「てっちゃん」と思われているんでしょうね。
 帰りのルートで、厄神駅に三木鉄道の車両が入ってきたとき、中から団体さんが降りて来ました。どうも、「テツ子さん」の団体のようです。てっちゃんと違うのは、携帯電話のカメラの人が多いということでしょうか。黄色い腕章をした人が一人いて、確か「幹事」と書いてあったような。三木鉄道の車両は撮り飽きたのか、加古川線の車両が2両並んでホームに停まっているところを、しきりに写しておられました。

 テツ子さんの団体さん


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